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2013年3月12日火曜日

「印象、日の出」 印象派の名の由来


印象、日の出 (Impression, soleil levant)

www.flickr.com オリジナル (1280×1041, 209 KB)

解像度: ★★★★☆ おすすめ度: ★★★★★

クロード・モネ 1873年
W 263
キャンバスに油彩 48 x 63 cm
マルモッタン美術館 パリ


1872年作と日付が書かれていますが、1873年に描かれた作品です。モネは後に、この作品の題 名について、「カタログに載せるために題名をつけてほしいといわれたが、これに『ルアーブルの眺」』という題をつけることはできなかっ た。そこで『印象』としてほしいと言った。」と説明しています。

印象派の名の由来となった、モネの傑作の一つで、印象派の象徴とも言える作品です。 朝もや中、ル・アーヴル港に太陽が登る幻想的な風景が大胆な筆致で描かれています。

画面中央下から左斜め上方向に描かれている、海上を移ろう3艘の小舟のシルエットの濃淡が作品に奥行きを与え、斜め方向に一直線んに並んだ小舟と太陽からなる三角形が印象的です。

太陽の海面への反射や波は、筆触分割の技法で描かれ、遠景には、工場の煙突や帆船、クレーンなどが素早い大胆な筆致で大気に溶けこむように描かれています。

当時の主流であった写実的なアトリエでじっくり時間をかけて描かれた作品とは対極をなす、即興的で、その景色を見た瞬間の印象を写し撮ったかのような作品です。

1985年、「マルモッタン美術館絵画強奪事件」で、この絵は盗難に遭いますが、5年後、コルシカ島で無事発見されました。

<第一回印象派展 >


印象派という名称は本人たちが名乗ったものではありません。出品されたモネの「印象、日の出」を見た批評家ルイ・ ルロワが、風刺新聞シャリ ヴァリ誌に「印象主義者(仏語でアンプレッショニスト)の展覧会」というタイトルで、会話調の次のような酷評を載せました。

「印象?確かに私もそう思った。私も印象を受けたんだから。つまり、その印象が描かれているというわけだ。だが、なんというでたらめ、なんといういいかげんさだ!この海の絵よりもまだ、作りかけの壁紙の方がましだ。」

このルイ・ルロワの批評が書かれるまで、「アンプレッショニスト」という言葉は、美術のジャンルや人々を指す言葉としては用いられおらず、 このルイ ・ルロワの「印象、日の出」の『印象』のフレーズを転用しタイトルにした記事が、モネやルノワール等のグループを『印象派』と呼ぶ要因になりました。

「印象、日の出」は、おそらく展示された作品の中でも、最も非アカデミックな絵だったと思われますが,この展覧会そのものに関しては、それほどひどい非難があったわけではないことが最近分かってきました。

フランスがプロシアとの戦争に負けて、国中が戦債を償っている非常時に、サロンのように税金を使うのではなく、「自分たちの資金で運営する自主的な企画は望ましい。」というような好意的な論評もあったようです。

初め、この展覧会は「画家・彫刻家等の芸術家による共同出資会社」(フランス語:Societe anonyme cooperative d’artisites - peintres, sculpteurs, etc)の展覧会と命名されました。Societe anonymeは現代の株式会社に相当します。

この展覧会には、モネやルノアール、ピサロ、ドガ、セザンヌなどが作品を出品しています。印象派展は以後8回行われました。ではなぜ、資金を出しあってまで展覧会を開いたのかというと、無審査の展覧会を開くためでした。

当時、画家として生計を立てるには、権威のあるサロンで入選することが絶対条件でした。なぜなら、入選した絵しか、高値で売れなかったからです。よって、自分が本当に描きたいものを描き、内容のある作品が出来上がったとしても、サロンの審査員の趣向に合わなければ、入選できず、食べていけません。

そこで、モネ、ルノアール等後に印象派と呼ばれる、サロンでは受け入れられなかった進出気鋭の画家たちは、サロンとは異なる無審査の展覧会を開いて、独自に顧客を開発しようと試みました。


モネにはもう1点ル・アーヴル港の日の出らしきものを描いた絵があるので、下記に示します。


日の出 (Soleil levant)

出典 commons.wikimedia.org Lサイズ (1320×847, 282 KB) XLサイズ (1600×1245, 1832 KB)

解像度: ★★★☆☆ おすすめ度: ★★★☆☆

クロード・モネ 1873年
W 262
キャンバスに油彩 49 x 60 cm
J・ポール・ゲティ美術館 ロサンゼルス

実際には、第一回印象派展に、どちらを出したかという証拠がなく、当時の批評等を読んでも、確定的にこちらだと言えるものがありません。

印象派の研究者リウォルドは、著書のなかで、「こちらではないか。」と言っていますが、これも証拠がないので、いくら大家の言ったことでも受 け入れられていません。


ノラム城、日の出 (Norham Castle, Sunrise)

出典 www.tate.org.uk オリジナル (1078×796, 70 KB)

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 1845年
キャンバスに油彩 91 x 122 cm
テイト ロンドン


上記のタナー作「ノラム城、日の出」はモネやルノアール等の印象派の画家達に多大な影響を与えたとされる作品です。

特にモネは1971年(31歳)、普仏戦争の徴兵を逃れてロンドンを訪れた際に、この絵を見て感銘を受けたようです。

ターナーが他界してから10年後に発見された本作は、当時の人々にとってはあまりにも抽象的な作品に映り、完成作なのかどうか判断がつかず、かなりの議論となった逸話がある絵です。

ある意味、モネの「印象、日の出」よりも38年前に描かれているにもかかわらず、よりモダンで斬新な印象を、私達後世の人々には与えます。

この絵をモネが見ていなかったら、もしかすると、現代の絵画史は全く別の物になっていたかもしれません。